2024年4月8日に亡くなった、作家の宗田理さん。
「ぼくらの七日間戦争」など、多くのヒット作を世に残してきたことで有名ですよね。
今回は、
- 宗田理のプロフィール
- 宗田理の死因は?
- 宗田理の生い立ちは?
- 宗田理はどんな人?
- 宗田理の晩年(現在)は?
- 宗田理の代表作は?
- 宗田理の家族は?
- まとめ
についてまとめていきます。
宗田理のプロフィール
今回は、宗田さんのプロフィールをまとめてみました!
名前 | 宗田理 |
年齢 | 95歳没 |
生年月日 | 1928年5月8日 |
出身 | 東京府豊多摩郡(現・東京都世田谷区)生まれ
愛知県西尾市出身 |
職業 | 小説家 |
最終学歴 | 日本大学芸術学部映画学科 |
作家の宗田理さんが4月8日、95歳でお亡くなりになりました。
角川つばさ文庫では『ぼくらの七日間戦争』をはじめとする数々の作品を刊行させていただきました。
深く感謝申し上げ、心よりご冥福をお祈りいたします。
くわしくは以下のヨメルバをご覧ください。https://t.co/Rs0wbPKuXF— ヨメルバ(KADOKAWA 児童図書編集部) (@KadokawaJidosho) April 16, 2024
宗田理の死因は?
4月8日に亡くなっていたことが明らかになった宗田さん。
その死因はいったい何だったのでしょうか?
報道によると、死因は一切公開されていませんでした。
新しい情報がわかり次第、追記していきます。
宗田理の生い立ちは?
宗田さんの生い立ちはいったいどのようなものだったのでしょうか?
宗田さんは東京府豊多摩郡(現・東京都世田谷区)で生まれます。
ただし出身は愛知県で、愛知の西尾市で過ごしていたようです。
大学は日本大学芸術学部映画学科を卒業しています。
アメリカ映画を観た時に衝撃を受けて、「これからは映像の時代だ」と感じたのが入学のきっかけだったようです。
在学時代に実習の創作として書いた『雲の果て』という作品が、松竹映画のライターの目に留まったようです。
やはり、当時から才能があったという事がわかりますよね!
戦後まもなく、「漠蕪愚(ばくぶぐ)」というペンネームで、最初の作品である『涅槃』を同人誌で書き上げました。
その後はシナリオライターや編集者などを経て作家となり、小説「未知海域」が直木賞候補にもなっています。
こうして、宗田さんは数々の作品を世に生み出す大ヒット小説家に駆け上がっていくのです。
宗田理の晩年(現在)は?
宗田さんの晩年はどのような活動をされていたのでしょうか?
1979年のデビュー以来、90歳を超える数年前までずっと執筆を続けていたようですよ。
2024年3月にも、「ぼくら」シリーズの最新刊を刊行していたようです。
限界まで執筆を続けられる姿勢が本当にすごいですよね。
最後まで、「子どもたちを応援する」という姿勢を貫いていたようですよ。
小説家 宗田理さん死去、95歳 代表作に『ぼくらの七日間戦争』等https://t.co/Me61LsMLUX
2024年3月にも「ぼくら」シリーズ最新刊を刊行。新作を精力的に執筆されていました。 pic.twitter.com/LbvSVXdSSL
— KAI-YOU(カイユウ) (@KAI_YOU_ed) April 16, 2024
宗田理の代表作は?
宗田さんの代表作にはいったいどのようなものがあるのでしょうか?
一番有名なのは、「ぼくらの七日間戦争」をはじめとする「ぼくらの」シリーズです。
その他にも「悪ガキ7」シリーズ、「2年A組探偵局」シリーズなどがあります。
とても面白いので、一度も読んだことがない方はこれを機に読んでみることをお勧めしますよ!
宗田理の家族は?
宗田さんの家族構成を調べてみました。
調べてみたところ、長男の「唯(ゆい)」さんという方のみ公開されていました。
今回の葬儀では唯さんが、喪主を務めて家族で行われたようですよ。
奥さんなどの情報は一切公開されていませんでした。
まとめ
今回は、2024年4月8日に亡くなった、作家の宗田理さんについてまとめました。
多くの名作を世に残されてきた宗田さん。
宗田理さんのご冥福をお祈りします。
コメント