2024年2月16日、映画プロデューサーの叶井俊太郎さんが死去したことが明らかになりました。
今回は、
- 叶井俊太郎が死去
- 叶井俊太郎のプロフィール
- 叶井俊太郎の病院はどこ?
- 叶井俊太郎の経歴
- 叶井俊太郎の生い立ちは?
- ネットの反応
- まとめ
についてまとめていきます。
叶井俊太郎が死去
2024年2月16日、映画プロデューサーの叶井俊太郎さんが死去したことが明らかになりました。
詳細は下記のとおりです。
ステージ4の「すい臓がん」と闘っていた映画プロデューサーの叶井俊太郎さんが2月16日の23時頃、東京都内の自宅で亡くなった。56歳だった。
本当にショッキングなニュースですよね。
以前からすい臓がんのステージ4という事で闘病されていましたが、死因もすい臓がんという事です。
妻の倉田真由美さんは、叶井さんについて次のように語っています。
倉田さんは取材に対し、「最高の父ちゃんで、最高の夫でした」と涙ながらに語った。
「亡くなる前日の2月15日も、夫が『散歩に行きたい』と言ったので、一緒に出かけました。ですが、家を出て『長い距離は無理そう、あのゴミ捨て場までにする』と言って、すぐ戻りました。それが最後の外出になりました……」
本当に叶井さんの事を、信頼して大好きだったという事が伝わってきますよね。
叶井俊太郎さんのご冥福をお祈りします。
叶井俊太郎のプロフィール
今回は、叶井さんのプロフィールをまとめてみました!
名前 | 叶井俊太郎 |
年齢 | 56歳没 |
生年月日 | 1967年9月18日 |
身長 | 179センチ |
出身 | 東京都 |
血液型 | 不明 |
職業 | 映画プロデューサー
コラムニスト |
妻 | 倉田真由美 |
叶井俊太郎の病院はどこ?
叶井俊太郎さんの病院はどこだったのでしょうか?
叶井さんはすい臓がんが発覚する前、異変を感じて病院を受診したところ、誤診があったようなんです。
そして3件目の病院でやっとすい臓がんが発覚したとのこと。
なんと誤診をした病院の口コミは星3以上だったようですよ。
ちなみに誤診した病院や、入院・闘病した病院は明かされていませんでした。
やはりセカンドオピニオンを受けることは必要であると感じますね。
叶井俊太郎の経歴・生い立ちは?
叶井俊太郎さんの経歴や生い立ちはどのようなものだったのでしょうか?
下記にまとめてみました。
・東京都立園芸高等学校卒業
・放送関係の専門学校のラジオ放送科を経て、ハワイに留学、卒業。
・1990年、知人の紹介でラジオ局にADとして入社。
・この頃、試写会を担当したのをきっかけに映画業界へ転職したいと思うように
・1991年、洋画配給会社ニューセレクトに入社。
・1994年、グループ会社のアルバトロスに異動、バイヤー兼宣伝担当となる
・同社在職中に買い付けた「アメリ」が興行収入16億円の大ヒット。
・2004年、「ファントム・フィルム」を設立し代表取締役社長に就任
・2008年、大橋孝史とともに「トルネード・フィルム」を設立し代表取締役社長に就任
・『いかレスラー』『ヅラ刑事』や『日本以外全部沈没』などプロデュース
・2010年、「トルネード・フィルム」を破産申請
・2018年からはフリーに
・私生活では離婚歴3回で、2009年に漫画家の倉田真由美と結婚
こう見ると、本当に映画一筋で人生を全うしてきたのだなと感じさせられますね!
ネットの反応
今回のニュースを受けて、世間ではどのような反応があったのでしょうか?
ネットの反応は次の通りです。
・抗がん剤は効くケースもあれば、逆に正常細胞を傷めて寿命を縮めてしまうケースもあるから、難しい選択ですね。 ご冥福をお祈りします。
・死を恐れず、それにしっかり向き合って受け入れてあった仕事を全て前倒ししてこなして残った時間を全力で生きている姿はカッコよかったなぁと思いました。
・年齢的には勿論早すぎるけど、余命宣告されてからのお仕事ぶり、前日まで家族とお散歩出来て、お家で家族に看取られ亡くなるなんて、素晴らしい最期だなと思います。
・だんだん出来ることが少なくなっていたとはいえ、亡くなる前日まで散歩に出ていただなんてすごい。
・くらたまさんもお子さんも、急激に弱っていくご主人をすぐ近くで見守るのは、なんとも心苦しかったでしょうか。
ネット上では、叶井さんを悼む声が多かったです。
本当に家族をはじめ、多くの方に愛されていたのだなと感じますね。
まとめ
今回は、叶井俊太郎さんが死去した件についてまとめました。
本当に多くの人に愛されていた、映画プロデューサーでした。
叶井さんのご冥福をお祈りします。
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